黒木亮の人気作品「カラ売り屋シリーズ」の第4作となる『カラ売り屋 マネーモンスター』。
2024年4月に幻冬舎から刊行された520ページの作品で、「ミスター液晶」「水素トラック革命」「地銀の狼」の3編を収録。
本作でもウォール街の空売り専業ファンド「パンゲア&カンパニー」が、
- 過去にノートパソコン用液晶バックライトで一時代を築いたグループ企業
- 虚言癖のCEOが創業したEVトラックの製造・販売会社
- 悪質な手法でサブリースマンションを販売する不動産会社とそのメインバンクである地銀
をターゲットに空売りを仕掛けていく。
本作の『マネーモンスター』で登場するターゲット企業は、華々しい成功の歴史、世界を変える未来の技術、夢のような高収益など、
実績以外に投資家を惹きつけるストーリーが存在する。
この実態と虚構との対比が、3編を通しての読みどころといえるだろう。
ミスター液晶|過去の成功は現在の価値を保証するのか

「ミスター液晶」でパンゲア&カンパニーが狙いを定めるのは、操作盤用スイッチを作る町工場から出発し、ノートパソコン用液晶バックライトによって成功した歴史をもつ電子部品メーカー。
過去の成功は、企業評価において非常に強い説得力を持つ。
「この会社は以前にも新しい技術で成功した」「この経営者はかつて正しい判断をした」という事実が、そのままこれからも成功するという期待へ置き換わりやすい。
そんななか、パンゲア&カンパニーは企業のかつての栄光などには一切目を向けず、
という一点から冷静に企業を評価していく。
たとえ工場や設備が決算書上では資産として計上されていても、そこで生み出される製品が競争力を失っていれば、
その資産にかつてと同じだけの経済的価値があるとは限らない。
投資家・清原達郎氏の投資手法にも通じる考え方ともいえる。
本篇「ミスター液晶」では、そんな過去の栄光の皮肉が、ターゲット企業だけにとどまらず、
かつて世界を席巻した日本産業そのものが輝きを失っていく現実にも重ねて描かれる。
物語のなかで、液晶開発の技術者が、空売りのターゲットとなる電子部品メーカーにヘッドハントされ、外国企業の猛追に対抗するため、日本の技術力をもう一度高めようと奮闘する。
しかし、実際に企業の内側へ入ると、
過去の栄光にいつまでもすがり、一時代の繁栄で築いた富を食い潰しながら、大した実績も残していないにもかかわらず高額な報酬を受け取って贅沢の限りを尽くす役員たち、
という理想とはかけ離れた現実を目の当たりにしてくのだ。
メインストーリーであるパンゲア&カンパニーの冷徹な企業分析を通して、日本企業が過去の成功体験から抜け出せず、少しずつ競争力を失っていく構造が浮き彫りになっている。
一度成功した企業ほど、その成功物語から抜け出すことが難しくなるという大企業の痛烈な皮肉を体験できる一編だ。
水素トラック革命|革新者と詐欺師の境界線

「水素トラック革命」はとてもわかりやすく、悪徳企業を成敗するパンゲア&カンパニーという構造が描かれる。
舞台はアメリカ。
燃料電池トラック企業を率いる若き経営者が、水素トラックによって物流の未来を変える壮大な事業構想を市場へ提示する。
しかし、この若き経営者がのっけから嘘に嘘を重ねるとんでもない虚言癖野郎なのだ。
社長が売春絡みで刑事告訴された小さな電池メーカーを買収しただけで燃料電池を自社開発したと嘯き、
トラックのお披露目会でガワだけ組み立てたハリボテを完成品と虚飾する。
最もおかしかったのは、ただ坂道で転がしただけのトラックを、実際に走行している映像としてプロモーションしていたシーンである。
物語では、この嘘にまみれた水素トラック会社が、時価総額でフォードを上回り、さらにはGMとの提携にまでこぎつけていく。
「この展開はさすがに無理があるのではないか」と読みながら思ったのだが、驚くことに、現実でもほとんど同じような事件が起きていた。
いわゆる「Nikola事件」だ。
米EVメーカーのNikolaが、技術力や受注実績を偽りながら2020年に上場し、多額の資金を集め、最終的に創業者には実兄が言い渡された事件である。
この企業も、実際には自走できないトラックを坂道で転がし、あたかも走行しているかのように見せた映像を公開していたそうだ。
虚偽を重ねながら上場まで果たしてしまうのだから、ここまでくると、その徹底ぶりには呆れを通り越して妙な感心すら覚えてしまう。
カラ売り屋シリーズは、こうした現実の経済事件や企業不正を知るきっかけにもなる。
物語を楽しみながら、それまで知らなかった経済や企業にまつわる知識まで得られるのも、このシリーズの面白さの一つだろう。
地銀の狼|共感力が欠如した優秀な営業マン

3編目に収録されている「地銀の狼」は金融小説を体現する、読み応え抜群の一編だ。
パンゲア&カンパニーが狙いを定めるのは、サブリースマンションの販売で急成長する不動産会社とローン販売を行う地方銀行の2社。
不当な物件価格、ローン契約のための書類改竄、抱き合わせ契約、銀行から不動産会社へのペイバック、仕組み債、仕組み預金など、
専門用語が次々と登場するにもかかわらず、パンゲア&カンパニーの調査を通して不正の全貌が明らかになっていき、金融知識のない読者でも事件の構造を理解できる。
金融業界の複雑さと、その知識格差につけ込む人間の悪意。
両方をエンターテインメントとして楽しめる、まさに金融小説らしい一編となっている。
また本編には、表題の「地銀の狼」という言葉がこれ以上なく似合う、サイコパス気質の営業マンが登場する。
冷徹で共感力に乏しく、同僚や上司からも距離を置かれる一匹狼。
しかし、営業マンとしては圧倒的に優秀で、会社も簡単には切り捨てることができない。
そんな並外れた行動力と執念を持つ男が、自らの成果を追い求めるほど不正取引を加速させ、やがて事件そのものを取り返しのつかない規模へと膨らませていく。
有能だからこそ誰にも止められない。その危うさが、本編に独特の緊張感を与えている。
そして、悪い企業のなかにも良い人はいる。
組織から見放される一匹狼を唯一気にかけ、アクセルとブレーキを巧みに使い分けながら、彼が暴走しないよう手綱を握る支店長だ。
孤立した部下と、それを理解して支える上司。
使い古された構図ではあるが、それでも二人が背負ってきた背景を知ったうえでそのやり取りを読むと、感情移入せずにはいられない。
人を包み込むような暖かい口調の仁村の言葉を聴きながら、柳は無言でスープを口に運ぶ。
「ただ柳くん君なあ、近頃、無理をしすぎなんじゃないか?僕には、あなたも日本大通支店のみんなも、疲弊しているようにみえて仕方がないんだ」
「・・・・・・・・・・・」
「きみはもう十分実績を上げたし、行内でも誰もが認める存在になった。きみが企画部の次長として打ち出した戦略も大いに成果を上げている。・・・・もう十分じゃないか?」
「常務、お話されたいことは、だいたいわかります」
手にしたスープのスプーンを止め、柳がいった。
(中略)
「柳君、いくらでも後戻りはできるさ。きみはまだ四十をすぎたばかりじゃないか」
その言葉に、柳は初めて会った頃と変わらない頑なな表情で小さく首を振る。
(凡庸でくだらないサラリーマン連中に対するアンチテーゼに徹していきようというのか・・・・・?)
「まあいずれ地獄が待っているかもしれません」
柳が自嘲的な口調でいった。
(この男の心の渇きは、どこからきているのか・・・・・?)
もはや柳は、組織のなかで爪弾きにされていたゴミ行員ではない。自分を猿のように扱った支店長たちや銀行そのものを、お釣りがくるほど見返した。
(いかに成功しようと、過去に自分をゴミ扱いした組織や人間を永遠に赦さず、彼らに盾突くアウトローに徹してようというのか・・・・・?)
黒木亮『カラ売り屋シリーズ マネーモンスター』幻冬舎、2024年、396-397頁
『カラ売り屋vs仮想通貨』との違い
前作の『カラ売り屋vs仮想通貨』では、「企業価値を正しく分析したとしても、市場価格が正しく動くとは限らない」という問題が中心にある。
株価の動向は企業価値に加えて人間心理も要因となるため、たとえ中身のない企業でも「市場の期待」だけで高値をつけることはある。
一方、本作の『マネーモンスター』は、一段手前へ戻った作品として読むと違いがはっきりする。
前作で問われていたのが、「正しく分析しても、市場は正しく動くのか」だとすれば、
本作で問われるのは、「そもそも、その分析に使っている企業情報は正しいのか」である。
企業が出す決算書や事業計画、技術開発の進捗、実際の利益。
これらがすべて間違っていたら、あるいは裏に何かあったら、どれほど精密に分析しても結論は歪むのだ。
決算書だけでは企業の実態は分からない
だからこそパンゲア&カンパニーは、PERやPBRを並べた割高・割安の判断などはしない。
資産評価、製品開発、事業計画、契約書類、財務などめに見えるものは全て網羅し、さらに各企業の扱う製品や専門分野に関して猛勉強し誰よりも詳しくなる。
本作のなかでも、パンゲア&カンパニーのメンバーが実際にマンション経営をしている人物やEVの技術者など、その道の最先端の人たちへ何度もアポイントをとって接触するシーンが描かれる。
決算書の数字を見る
その数字を作っている事業を見る
事業を支えている技術や契約を見る
その前提が現場でも成立しているか確認する
この前提を疑う作業が、本作を一般的な企業小説とは少し違うものにしている。
株式投資をしている人であれば、ファンダメンタルズ分析という言葉からまず決算書を思い浮かべるかもしれない。
しかし、決算書に載っている売上高も利益も資産も、突然数字として生まれるわけではない。
その前には製品があり、顧客があり、契約があり、設備があり、技術があり、経営判断がある。
数字がおかしいと感じたとき、数字だけを眺め続けるのではなく、その数字が作られた場所まで戻る。
パンゲアの企業調査を追っていると、ファンダメンタルズ分析という言葉の意味がかなり立体的に見えてくる。
現実の企業事件を知ると『マネーモンスター』はさらに面白い
黒木氏は『カラ売り屋』シリーズにおいて、実際に起きた事件や実在の人物をモデルに物語を構築することが多い。
本作に収録されている「地銀の狼」も、いわゆる「かぼちゃの馬車事件」と重なる部分が多く見られる。
「かぼちゃの馬車事件」とは、不動産会社スマートデイズが女性専用シェアハウス「かぼちゃの馬車」を投資用不動産として販売し、サブリースによる賃料収入をうたって多くのオーナーを集めたものの、
やがて賃料の支払いが停止し、スマートデイズの経営破綻によって、多額の借金を抱えたオーナーが相次ぎ、大きな社会問題へと発展した事件である。
さらに問題となったのが、物件購入者への融資を積極的に行っていたスルガ銀行の不適切な融資実務だった。
融資審査を通すため、預金通帳の残高を実際より多く見せるなどの書類改ざんが横行し、不動産投資向け融資をめぐる数々の不正が明るみに出た。
こうした事件の構図を知ったうえで「地銀の狼」を読むと、作中で展開される不動産会社と地方銀行の関係が、単なるフィクションとは思えないほど生々しく感じられる。
『マネーモンスター』はこんな人に向いている
- 企業分析の過程を楽しめる人
- 株式投資やファンダメンタルズ分析に興味がある人
- 企業不正や経済事件の裏側まで知りたい人
- 実際の事件とフィクションを重ねながら読みたい人
- 専門知識を学びながら楽しめる経済小説を読みたい人
総評
| 項目 | 評価 |
|---|---|
| 面白さ | ★★★★★ |
| リアリティ | ★★★★★ |
| 読みやすさ | ★★☆☆☆ |
| 共感度 | ★★★★☆ |
| 総合 | ★★★★☆ |
株式市場では株価という数字が毎日動いている。
そのため投資の話になると、どうしても価格や決算数字へ目が向きやすい。
だが、その数字の手前には企業があり、そのなかにも技術を作る人間、商品を売る人間、融資をする人間、経営判断をする人間がいる。
彼らが作った現実を、企業は「成長」「革新」「高収益」という言葉へ変換して市場へ送り出す。
では、投資家はその言葉をどこまで信じるべきなのか。
『マネーモンスター』を読み終えたあとに残るのは、空売りで儲ける方法ではなく、
企業について語られている物語と、その会社で実際に起きていることを分けて考える視点である。
金融市場を舞台にしながら、会社そのものを見る目を増やしてくれるところに、『マネーモンスター』ならではの面白さがある。
『カラ売り屋』シリーズを読んでいる人におすすめ
本作のうち『地銀の狼』『ミスター液晶』の2編を収録した文庫版『カラ売り屋シリーズ 金融工学の狼』も刊行されている。
また、空売り屋シリーズを刊行順におさらいすると、パンゲア&カンパニーの成長や各話の時代背景の変化も楽しめる。


コメント