黒木亮『ザ・原発所長』書評|男の生涯と原発事故のへ至る数十年

黒木亮 ザ・原発所長 書評 金融・企業小説

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福島第一原発事故を題材にした小説と聞けば、当時テレビで繰り返し放送された事故映像や、緊迫した状況のなかで対応にあたる原発関係者たちの姿を想像するだろう。

しかし、黒木亮『ザ・原発所長』が長いページを費やして描くのは、むしろ事故が起こるまでの時間だ。

原子力を未来の技術として学んだ一人の青年を幼少期から追い、巨大電力会社に入社して現場と本店を往復しながら経験を積み、

やがて重大事故の現場責任者となるまでの長い軌跡が描かれる。

主人公は、日本最大級の電力会社「首都電力」で働く原子力技術者・富士祥夫。

大阪で育ち、大学で原子力を学んだ富士は、入社後、原発の現場と本店の双方で経験を重ね、やがて執行役員・奥羽第一原発所長に就任する。

そして2011年3月11日、巨大地震と津波によって引き起こされた原発事故の渦中に立つことになる。

著者の黒木氏は、福島第一原発事故当時の所長・吉田昌郎氏を主人公のモデルとし、約2年間にわたって70人以上の関係者を取材したうえで本作を執筆したと説明している。

作中の富士祥夫は、経歴だけでなく人物像の細部に至るまで吉田氏を色濃く反映している。

その描写からは黒木氏の徹底した取材力がうかがえると同時に、日本史に残る未曾有の原発事故の最前線に立った吉田昌郎という人物が、

どのような人生を歩み、どのような人間だったのかを、小説という形を通して深く知ることができる。

福島第一原発事故までの数十年にわたる日本の産業史

福島第一原発事故までの数十年にわたる日本の産業史

原子力発電所 イメージ

物語は2011年3月11日の危機から始まる。発電所では警報が鳴り、計器や電源に異常が発生する。

そこから物語は時間を遡り、富士の少年時代、学生時代、首都電力への入社、原発現場、本店勤務、管理職時代へと進んでいく。

読者はこの先で何が起きるのかを知っているため、本作は事故が起こるのかのサスペンスではない。

なぜこの人物が、あの日、あの場所に立つことになったのか。

そこへ至る因果関係そのものが物語を動かしている。

黒木が主人公を少年時代から描く理由もここにある。

吉田昌郎は1955年生まれであり、その人生は戦後日本が原子力発電を導入して拡大していった時代とほぼ重なる。

実際、吉田が生まれた1955年は、日本で原子力基本法が成立した年でもある。

その11年後の1966年には、日本初の商業用原発である東海発電所が営業運転を開始。1970年には敦賀1号機と美浜1号機が運転を始め、その後も原子力発電は拡大を続けた。2010年度には、日本の原子力による発電量は2,882億kWhに達している。(日本における原子力の平和利用のこれまでとこれから、第4節 二次エネルギーの動向)

吉田の人生を追うことが、そのまま日本が原子力を導入し、巨大な産業へ育てていった時代を追うことにもなるのである。

原子力が未来のエネルギーとして期待された時代に少年期を過ごした人間が、その技術史上最大級の危機の責任者になる。

そのため『ザ・原発所長』は、吉田昌郎をモデルとした人物小説であると同時に、戦後日本の原子力産業を一人の会社員の人生から追いかける産業史でもある。

原発と戦った英雄も、もともとは原子力システムの内部者

原発と戦った英雄も、もともとは原子力システムの内部者

原子力システム イメージ

本作で最も注目したいのは、主人公を単純な英雄にしていない点である。

主人公・富士祥夫は現場を知る技術者であり、上司や役所にも臆せず物を言う。危機になれば即断し、現場で起きている物理現象を優先する。

モデルとなった吉田についても、黒木が取材した関係者からは、率直さ、ユーモア、部下への配慮、仕事から逃げない姿勢などが語られている。

主人公を、悪い巨大組織に立ち向かう、一人の正しい技術者として描く物語なら分かりやすい。

しかし富士自身も、その組織を構成してきた一人なのだ。ここに富士祥夫という人物の複雑さがある。

現場で優秀な技術者であることと、安全な組織を作れることは同じではない。

むしろ優秀な社員ほど組織から評価され、中枢へ入り、その組織が行う意思決定に深く関わる。

そして組織が失敗したときに、自分は現場の人間だったから関係ないとはいえなくなる。

会社で長く働き、責任ある立場へ進むほど、「会社の判断」と「自分の判断」を完全に分けることは難しくなる。

『ザ・原発所長』には、組織の外から正義を叫ぶ人間には背負うことのできない、内部者だからこその重さがある。

事故は2011年3月11日に突然始まったわけではない

事故は2011年3月11日に突然始まったわけではない

原発事故 イメージ

『ザ・原発所長』では、福島第一事故以前の原子力産業にかなりのページが割かれる。

原発の建設や定期検査、設備の維持管理、本店からのコスト削減、行政との関係、トラブルへの対応。

一部の読者には、専門用語や部署名の多さ、事故に至るまでの長さを負担に感じるかもしれない。

しかし、この長さは、事故に至るまでの数十年として読むと意味があるだろう。

例えば、本作を通して語られる、安全とコストの問題がある。

事故の結末を知る人間であれば、電力会社の杜撰な対応や、経費削減を優先した結果としての事故予防策の不備など、問題点を探そうと思えばいくらでも掘り起こせるだろう。

しかし、原発の安全性を高めようとすると、必要な費用は青天井になる。

とはいえ、事故の発生確率が100万分の1だからといって対策を行わなければ、その100万分の1が起きた際にとんでもない事態に繋がってしまう。

本作では、コスト削減と安全の問題が繰り返し登場するが、「利益だけ考える経営陣」と「安全を考える技術者」という単純な配置にはなっていない。

会社にとって合理的な判断と、巨大事故を防ぐために必要な判断の狭間で、どのように着地点を見つければ良いのか。

低頻度だが起きれば致命傷になるリスクに対し、どの時点でどれだけの資金を投入するべきなのか。

この問いを象徴するのが、事故前に行われていた津波の試算である。

国会事故調によれば、東京電力は2008年、政府機関の長期評価をもとに津波を計算し、福島第一原発の敷地南部で最大15.7mという数値を得ていた。従来の想定を大幅に上回る津波の可能性は、事故の約3年前には具体的な数字として社内に現れていたのである。(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書 p90 3)大幅な想定超えの認識)

それでも、実際の事故までに十分な対策には結びつかなかった。どこまで可能性を想定し、どこまで費用をかけて備えるのか。本作で繰り返される安全とコストの問題は、現実の福島第一でも極めて重い意味を持っていた。

これは答えを知った2011年以降の人間が過去を裁くだけでは済まない問題だと思う。

原発事故がどのようにして起きたのか、詳しくなれる

原発小説というと、原子炉工学の難しい話を想像するかもしれない。

ただ、最低限押さえておくと事故場面の見え方が大きく変わるポイントがある。

原子力発電は、放射熱を発する燃料棒を水中に浸し、その熱で発生させた蒸気によってタービンを回転させ、電力を生み出す仕組みである。

そのため、地震によって原子炉が停止しても、燃料からは崩壊熱が発生するため、絶えず水を注入して冷却を続けなければならない。

福島第一では、地震直後に運転中だった1〜3号機は自動停止している。しかし地震で外部電源を失い、さらに津波によって非常用ディーゼル発電機や冷却用海水ポンプ、配電設備などが次々と機能を失った。

原子炉を止めることには成功しても、その後に燃料を冷やし続けるための電力が失われていったのである。その結果、冷却や注水だけでなく、計測や弁の操作まで制約されていった。

つまり事故現場で描かれる「電源がない」「計器が見えない」「弁を動かせない」という問題は、ただの専門用語ではなく、使える手段が一つずつ失われていく過程そのものなのだ。

これを理解しておくと、面倒に感じる専門知識が、次に何ができなくなるのかを理解するための情報へ変わる。

日本のエネルギー問題は今後も永遠に解決することはない。

きっと原子力初発電に頼るべきか否かという問題が今後も語り続けられる。

その時、原子力発電の仕組みについて少しでも理解しておくと、自分が生きる国の問題の当事者として考えられるようになるだろう。

危機では「命令に従うこと」が正解とは限らない

また本作でも、黒木亮作品に通底する「組織と個人」という構図が色濃く描かれている。

福島第一原発事故の際、吉田昌郎氏は1号機への海水注入をめぐり、上層部から正式な了解を得るまで待つよう求められた。

しかし、表向きには注入中断を指示しながら、実際には現場に注入を継続させていたことが後に明らかになっている。

数分、数十分の遅れが取り返せない結果につながる危機では、上司の判断を待つこと自体が最大のリスクになる可能性もある。

平時に評価される「組織に従える人間」と、危機時に必要とされる「自分で責任を引き受けて決められる人間」は、必ずしも一致しない。

本作の主人公・富士という人物が面白いのは、その両方を一人の会社員として経験するところにある。

『ザ・原発所長』が向いている人

  • 巨大企業や官僚組織がどのように意思決定するのかに興味がある人
  • 現場と本社の考え方の違いを経験したことがある人
  • 安全、品質、コンプライアンスとコストの衝突に関心がある人
  • 技術者や管理職の仕事を描いた小説が好きな人
  • 「優秀な会社員とは何か」を考えたことがある人
  • 黒木亮『巨大投資銀行』『鉄のあけぼの』のような情報量の多い企業・産業小説が好きな人

総評

項目 評価
面白さ ★★★★☆
リアリティ ★★★★★
読みやすさ ★☆☆☆☆
共感度 ★★★☆☆
総合 ★★★★☆

総評|優秀な会社員は、組織の失敗から自由でいられるか

『ザ・原発所長』を読むうえで、主人公を「事故と戦った英雄」と「事故を生んだ側の人間」のどちらか一方に決めてしまうことは避けたい。

その二つが同じ人物の中に存在するから、本作は簡単に割り切れない。

事故時には、現場を理解し、自分で判断し、責任を引き受けられる人物が必要になる。

しかし、その人物は突然現れたわけではない。

巨大電力会社の中で評価され、昇進し、原子力部門の中枢を歩いてきた結果として所長になった。

つまり、危機を救おうとする人間と、その危機へ至ったシステムを支えてきた人間は同じなのである。

会社の中で働いていれば、これは他人事ではない。

組織の一員として出世し、より大きな権限を持つことは、より大きな責任を引き受けることでもある。

自分が直接決めなかったこと、自分一人では変えられなかったことまで含め、組織の結果から完全に距離を取ることは難しくなる。

優秀な組織人であるほど、その組織の失敗から自由ではいられない。

福島第一原発事故という巨大な出来事を通して、『ザ・原発所長』が描いているのは、そんな会社員の矛盾でもある。

そして黒木亮が事故の数日間ではなく、富士祥夫の少年時代から数十年を費やして描いた意味も、そこにある。

事故そのものだけを見るのではなく、事故が起きたとき、その場所に立っていた人間がどのような社会、産業、会社、価値観によって作られてきたのかを見る。

そこまで遡って初めて、福島第一原発事故は一人の所長の物語ではなく、日本の戦後原子力史と巨大組織の意思決定を描いた物語として立ち上がってくる。

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