黒木亮『国家とハイエナ』書評|合法なら何をしてもいいのか?国家を狙うハイエナファンド

黒木亮 国家とハイエナ 書評 金融・企業小説

デフォルトした国家の債権を二束三文で買い叩き、債務削減にはいっさい応じず、アメリカやイギリスで裁判をお越し、勝訴すれば世界中にある資産を差し押さえ、そして購入金額を上回るリターンを回収する。

『国家とハイエナ』を読み、こんな金融ビジネスが実際に存在することに驚いた。

著者である黒木亮氏はこうした訴訟型のヘッジファンドを「ハイエナファンド」と呼ぶ。

狙われるのは企業ではなく、ペルー、ザンビア、コンゴ、リベリア、ギリシャ、アルゼンチンなど、借金を返せなくなった国家たち。

一見するとハイエナファンドは悪として読者の目に映る。

しかし、標的となる途上国の権力者たちは、国民が貧困に苦しむ中で汚職にまみれ、外債で借りた金で至福を肥やす。

ファンドの行為は道徳的に問題があるように見えても、必ずしも違法ではない。契約に基づいて裁判を起こし、裁判所から権利を認められている。

こうしたハイエナファンドとデフォルト国家の攻防、さらに途上国を救おうとハイエナファンドを糾弾するNGO団体。

いったい、誰が正しく、誰が悪いのか。

この地球上で実際に存在する、スケールの大きな話をわかりやすく読めるのが本作『国家とハイエナ』である。

『国家とハイエナ』のあらすじ

『国家とハイエナ』は、黒木亮が2016年に刊行した国際金融小説である。

物語の中心となるのは、サミュエル・ジェイコブス率いる訴訟型ヘッジファンドだ。

彼らは、ペルー、ザンビア、コンゴ、リベリア、ギリシャ、アルゼンチンなど、財政危機に陥った国の債権を安値で買い集め、債務国に元本や利息の支払いを迫っていく。

回収できなければ裁判を起こし、それでも支払われなければ、国家が海外に保有する資産を差し押さえる。その徹底した回収手法から、「ハイエナファンド」と呼ばれるのだ。

一方で、こうしたハイエナファンドを糾弾し、途上国の人々を救おうと奔走するNGOも登場する。

さらに、黒木亮作品ではお馴染みの、カラ売り専業ファンド「パンゲア&カンパニー」も加わり、それぞれの思惑が複雑に絡み合いながら物語が展開していく。

金融や法律の専門用語が頻出するものの、ハイエナファンド、債務国、NGO、パンゲア&カンパニーという4者の立ち位置を押さえておけば、決して難解な作品ではない。

むしろ、それぞれの目的を理解して読み進めることで、金融を意軸とした国家の攻防として、すんなり物語に入っていける。

国家の借金を買って裁判を起こす「ハイエナファンド」

本作最大の特徴は、やはりハイエナファンドという存在だ。

登場人物であるサミュエル・ジェイコブスのモデルの一人として黒木亮氏が明かしているのが、米国の投資会社「エリオット・マネジメント」を率いるポール・シンガーである。

ポール・シンガー

ポール・シンガー

シンガーが率いるファンドは、実際にペルーの債務をセカンダリーマーケット(二次市場)で取得して訴訟を起こしたほか、後にはアルゼンチンの債務問題でも大規模な法廷闘争を展開した。

また、1999年には、Donegal Internationalというファンドが、ザンビアがルーマニアに負っていた債権を320万ドル(約5億円)で取得し、その後、イギリスで訴えを起こして5500万ドル(約860億円)を請求した事件があった。

Michael-Sheehan

Donegal Internationalのマイケル・シーハン氏 ガーディアン紙より

最終的に裁判所が認めた額は約1540万ドル(約240億円)だったが、たった数百万ドルで買った国家の債権が、裁判を通じてその何倍もの回収につながる。

本作で描かれる「値下がりした国家債務を買い、法律と裁判を武器に回収する」という展開は、こうした現実の金融事件を背景にしている。

つまり、ジェイコブスのやり方は小説のために誇張された奇抜なアイデアではない。現実の金融市場で実際に行われてきたビジネスなのだ。

では、ハイエナファンドはどのようにして国家から巨額の金を回収するのか。

国家が借金を返せなくなると、債権者との間で返済条件を見直す「債務再編」が行われることがある。債権者側も、全額を回収できないまま債務国が破綻するより、一部でも返してもらった方がいい。そのため、元本の削減や返済期限の延長などに応じる。

しかし、すべての債権者がこの話し合いに従うとは限らない。ハイエナファンドは債務削減には応じず、債権者として契約通りの支払いを要求する。

ここで彼らの最大の武器となるのが、法律と裁判である。

ハイエナファンドは金融のトッププレイヤーであると同時に、恐ろしいほど法律を熟知した集団でもある。

どこの国の法律が適用されるのか、どこの裁判所なら訴えを起こせるのか、その国が海外にどのような資産を持っているのか。

契約書と法律を徹底的に調べ、法的な手続きを積み重ねながら回収への道を探していく。

そして恐ろしいのは、戦う相手との圧倒的な力の差だ。

訴えられる側は、そもそも借金を返せないほど財政が悪化した国家である。十分な裁判費用を確保できるとは限らず、複雑な国際金融や契約を熟知した専門家をそろえることも難しい。さらに本作で描かれるような途上国では、政治腐敗や汚職が問題をより複雑にする。

そんな国家を相手に、世界トップクラスの金融と法律の専門家たちが債権回収を仕掛ける。

弱みにつけ込むという言葉だけでは足りない。国家の財政危機そのものをビジネスチャンスに変え、一度の取引で何百億円という利益を狙う金融プレイヤーが現実に存在することに、筆者は驚きを隠せなかった。

しかも、彼らは詐欺をしているわけでも、違法に金を奪っているわけでもない。

彼らは契約上の権利を持つ債権者であり、債務国が金を返さなければ裁判所へ訴える。判決を取り、法律で認められた手続きを使って回収する。

「イリーガルではないがインモラル」

もしハイエナファンドの行為が単純な犯罪なら、話はもっと簡単である。違法に国家から金を奪っているのであれば、「悪いことをしている」と切り捨てられる。

しかし、実際にはそうではない。

借りた金は返す、契約は守る、債権者には返済を求める権利がある。どれも資本主義社会では当たり前の原則だ。

一方で、その原則を徹底した結果、財政危機に陥った国家から巨額の利益を得ることは、本当に正しいのか。

本作が面白いのは、この問いに簡単な答えを与えないところにある。

「金を稼ぐなら、他人が躊躇するところまで踏み込め」。

投資やビジネスの世界では珍しくもない考え方だが、それを国家相手に、金融と法律を駆使して徹底的にやり遂げる。そんなハイエナファンドの凄まじさには、終始鳥肌が立ちっぱなしだった。

誰かにとっての正義は誰かにとっての悪

NGOは、多重債務に苦しむ途上国を救うため、世界各地で債務帳消しを求める運動を展開する。

本作の中には実際に行われたチャリティーコンサート「LIVE8」の描写も出てくる。

Live8_London

ロンドンで行われたLIVE8の様子 Wikipediaより

貧困に苦しむ人々を救うという目的を考えれば、その活動には大きな意義がある。

国家が借金の返済に追われ、医療や教育、インフラなどに十分なお金を使えないのであれば、債務を減らし、その分を国民の生活に回すべきだという主張にも納得できる。

しかし、本作を読んでいると、それだけでは割り切れない問題も見えてくる。

そもそも、その債務は誰かが勝手につくったものではない。国家として意思決定を行い、外国や金融機関から資金を借りた結果として積み上がったものだ。

もちろん、貸し手側に問題があるケースもあるだろう。

それでも、「返済できなくなったのだから債務を減らしてほしい」という主張を無条件に認めてしまえば、今度は債権者の権利をどう考えるのかという問題が生まれる。

さらに問題を複雑にするのが、債務国の内情である。

本作に登場する途上国では、権力者による汚職や腐敗が国家財政を蝕んでいる。国民が貧しいから国家にお金がないという単純な話ではなく、本来なら国民のために使われるはずの資金が、一部の権力者によって食い物にされているのだ。

そう考えると、本当に問うべきなのは「借金を返すべきか、帳消しにすべきか」だけではない。

なぜ、その国は返済できないほどの債務を抱えてしまったのか。

そこまで考える必要があるのだと思う。

視点を変えて見れば、作中で「ハイエナ」と呼ばれるファンドは、腐敗した国の浄化作用もあるのではないか。

彼らは債務国の弱みにつけ込み、暴落した債権を安値で買い集め、そこから巨額の利益を得ようとする。その姿だけを見れば、文字どおり弱った獲物に群がるハイエナのようにも映る。

しかし一方で、彼らが求めているのは、法的に認められた債権の回収でもある。

債務帳消しを求めるNGOには、「貧困に苦しむ人々を救う」という正義がある。ファンドには、「契約に基づいて貸した金を回収する」という論理がある。そして債務国にも、自国の経済と国民の生活を守らなければならない事情がある。

誰か一人だけを正しいと決めれば済む話ではないのだ。

その複雑さを象徴しているのが、腐敗した権力者のもとで働く財務官僚たちである。

彼らのなかには、自国の繁栄を願い、少しでも債務を減らし、限られた財源を国民のために使おうと奔走する者もいる。

しかし、その上には絶大な権力を握る大統領がいる。正面から逆らえば、自らの立場だけでなく身の安全さえ危うくなりかねない。それでも彼らは、腐敗した政治体制のなかで、国家と国民のために何ができるのかを模索している。

だからこそ、『国家とハイエナ』には、単純な善人と悪人という構図がほとんど存在しない。

貧しい国を救おうとするNGO。契約と法律を武器に債権を回収するハイエナファンド。巨額の債務を抱え、返済に苦しむ国家。そして、その国家の内部で腐敗した権力者と向き合いながら働く官僚たち。

それぞれに立場があり、それぞれに守ろうとしているものがある。

見る立場が変われば、正義の見え方も変わる。誰かにとっての正義が、別の誰かにとっては理不尽に映ることもある。

国際金融の世界では、「誰が正しく、誰が悪い」と簡単に線を引くことができない。

そんな善悪だけでは割り切れない国際金融の複雑さを、それぞれの立場で動く人間たちのドラマとして描いているところも、『国家とハイエナ』の大きな面白さだと思う。

貧しい国民と腐敗した国家は同じ「債務国」なのか

最大の被害者は、もしかしたら国民なのかもしれない。

ファンドの標的になる国では、多くの国民が一日1ドル以下という水準で生活し、5人に1人が感染症にかかっているという現実がある。

そんな国が抱える債権をハイエナファンドは二束三文で買い取り、裁判を起こして元本や利息を回収しようとする。

ここだけを切り取れば、貧しい国からさらに金を奪い取る行為に見える。

しかし、本作を読んでいて疑問に感じたのが、「貧しい国民」と「借金を抱えた国家」を、同じ債務国という言葉で括ってしまっていいのかということだった。

国民が貧しいからといって、その国に金がないとは限らない。国家に入ってきた資金が、本来使われるべきところに使われていない可能性もあるからだ。

その構図を象徴するような事件が、現実のザンビアでも起きている。

フレデリック・チルバ元大統領をめぐっては、国家資金の不正流用が英国の裁判でも問題となった。チルバはスイスの高級店で衣服などに50万ドル以上を使ったとされる一方、当時のザンビアでは多くの国民が一日1ドル程度で生活していた。

つまり、国民が貧しいことと、国家に入った金がどのように使われたのかは別の問題なのである。

道路や学校、病院を整備するために借りたはずの金が、権力者やその周辺に流れていく。政治家や官僚の汚職によって国家の資産が食い潰され、それでも足りなければ再び海外から金を借りる。

そして、そのツケを最終的に背負わされるのは、そこで暮らす国民である。

国家が債務返済に追われれば、医療や教育、インフラなどに回せる予算は少なくなる。財政を立て直すために歳出削減や増税が行われれば、その影響を直接受けるのも国民だ。

一方で、だからといって国家の債務をすべて帳消しにすれば解決するわけでもない。

前章で触れたように、借りた金を返すという原則があり、債権者にも当然権利がある。何より、国家の腐敗した構造が変わらないまま債務だけを減らしても、再び同じことが繰り返されるかもしれない。

ここに、国家債務という問題の難しさがある。

債務国という言葉を使うと、あたかも一つの人格を持った存在が金を借り、それを返せずに困っているように見える。

しかし、実際の国家はそれほど単純ではない。

金を借りることを決める人間がいる一方で、その意思決定にはほとんど関与していないにもかかわらず、結果だけを引き受ける国民がいる。

同じ国の中にいるからといって、全員が同じ立場にいるわけではないのだ。

「国家が借りた金なのだから、国家が返すべきだ」という正論だけでも、「貧しい国なのだから、借金を帳消しにするべきだ」という善意だけでも、この問題を割り切ることはできない。

では、借金を生み出した責任は誰が負うべきなのか。

そして、誰を救うべきなのか。

『国家とハイエナ』を読んでいると、国家債務の裏側には、単純な「貸した側」と「借りた側」だけでは整理できない構造があることに気づかされる。

その構造のなかで、自ら借金を決めたわけでも、その金で利益を得たわけでもない。それでも最後には、財政悪化や公共サービスの縮小という形でツケを払わされる。

そう考えると、この物語における最大の被害者は、国家でもファンドでもなく、そこで暮らす国民なのかもしれない。

世界を歩きながら金融・歴史・地理まで知っていく

黒木亮氏らしい世界各地の描写はやはり美しい。

本作の舞台は一つの国に留まらない。ペルー、ザンビア、コンゴ、リベリア、ギリシャ、アルゼンチンと、債務問題を追いながら世界を移動していく。

そこで描かれるのは金融だけではない。

その国がどこにあり、どんな歴史を持ち、どのような政治状況に置かれ、人々がどんな環境で生活しているのかまで話が広がっていく。

黒木作品を読んでいて面白いのは、この部分である。

金融小説を読んでいたはずなのに、気がつけば知らなかった国の歴史や地理についても知っている。

しかも、旅行記のように金融とは別枠で説明されるのではなく、債権を回収するためにその土地へ行き、現地の政治や法律を調べる必要があるため、物語の中へ自然に入ってくる。

企業から国家へ視点が広がり、金融の先に法律、政治、歴史、地理までつながっていく。

鮮明な現地描写を読みながら、知らなかった国や歴史について自然と知識が増えていく感覚は、本作でも黒木氏らしい部分だった。

『国家とハイエナ』はこんな人におすすめ

  • 国家の借金が金融市場でどのように扱われるのか、物語を通して知りたい人
  • 株やM&Aだけでなく、国家・裁判・国際政治までつながる金融小説を読みたい人
  • 「合法だから正しい」とは言い切れない金融事件に興味がある人
  • 途上国の債務問題を、政府・国民・債権者・NGOそれぞれの立場から見てみたい人
  • 金融小説を楽しみながら、世界各地の歴史や地理まで知りたい人

総評

デフォルトした国の債権を安く買い、裁判を起こして巨額の資金を回収する。最初にこの仕組みを知ったときは、ハイエナファンドという存在そのものに驚いた。

ところが、その国について知れば、国民は貧困に苦しむ一方で権力者は汚職にまみれ、ファンドは強引に見えるが、契約上の権利を主張し、裁判所の判断に従っている。

国民を救おうとするNGOにも、低い給料のなか自分なりの正義で働く人間の生活がある。

立場を一つ変えるたびに見え方も変わり、最後まで単純な善悪に整理できない。

国家を相手に金を回収するハイエナファンドという、これまで知らなかった世界を見られたことと、その世界を知るほど誰が正しいのか分からなくなっていったこと。この二つが『国家とハイエナ』で最も印象に残った部分である。

次に読むなら

『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』黒木亮

世界中の銀行が巨大融資案件の主導権を争う国際協調融資を軸に、邦銀で奔走する主人公と、かつての同僚であり外銀で巨額案件を次々とこなす金融マンの2人の攻防が描かれる。
同じ国際金融でも、国家と裁判所へ広がる『国家とハイエナ』に対して、『トップ・レフト』では金融マン同士の仕事と競争をより近い距離から見られる。

黒木亮『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』書評|世界中の銀行が奪い合う左上の一席
黒木亮のデビュー作『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』を書評。龍花丈という強烈な金融マンの生き方、シンジケートローンや「トップ・レフト」を巡る攻防、邦銀と外資系投資銀行の違いなど、本作の読みどころをわかりやすく紹介する。

『巨大投資銀行』黒木亮

裁定取引、デリバティブ、新興国市場などを通して、巨大な投資銀行の中で人間が何をしているのかが描かれる。国家と金融の関係を描いた『国家とハイエナ』とは、同じ国際金融でも見える景色がかなり違う。

黒木亮『巨大投資銀行』書評|黒木亮が描くウォール街の20年
黒木亮『巨大投資銀行』を書評。M&A、裁定取引、デリバティブ、新興国市場など、投資銀行が利益を生み出す仕組みを3人の金融マンの仕事から読み解く。ブラックマンデーや米国債不正入札など実在の金融史との接点、ウォール街と日本金融の違い、黒木亮ならではの圧倒的な専門性と本作の読みどころをわかりやすく解説する。

カラ売り屋シリーズ:黒木亮

本作にも登場するパンゲア&カンパニーが主人公となる、シリーズ作品。徹底した調査力を武器に、自らの資金とプライド、そして信念を賭けて資本市場のもとで不正を行う悪徳企業の裏を暴いてゆく主人公たちの

【全4作】黒木亮『カラ売り屋』シリーズ読む順ガイド|収録内容と読みどころも紹介
黒木亮の人気経済小説『カラ売り屋』シリーズの読む順番を徹底解説。『カラ売り屋』『日本上陸』『VS仮想通貨』『マネーモンスター』の収録作品やあらすじ、読みどころを紹介します。単行本と文庫版の違いも整理しているので、初めて読む方やシリーズを網羅したい方はぜひ参考にしてください。

コメント